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ごあいさつ
 私はこれまで文化人類学者として、太平洋の島々(バヌアツ、ニューギニア)、日本(山形県)、東アジア(韓国、中国)でフィールドワークを行い、 祭りや社会構造について研究をしてきました。いまの関心は、1) 人間の身体において、生物的な自然性と人間の作り出した文化性とはどのような関係にあるのか、2) 儀礼(祭り)と演劇の表現の仕組みにおける共通性から、人間の行為の意味について身体の側から考えられないだろうか、3) 日本における近代化はどのような「もう一つの」近代化であるのか、といった問題に向けられています。
 こうした関心から派生して、1) からは、たとえば身体をふくめた「教育」 の問題、2) からは実際の演劇・ダンスのパフォーマンス、3) からは「日本」 について、それぞれ文章を書いたり講演をしたりする仕事が生まれました。また、たんに書いたり話したり、というだけでなく、エンジン01文化戦略会議 のさまざまな活動を通して、社会活動も行っています。

 私は楽観論者でもペシミストでもなく、常々リアリストであることを心がけていますが、ここ十数年の世界における事件や流れ、日常で出会う出来事は、 私たちの踏みしめている道が、しだいに下り坂になっていることを感じさせます。
 若い頃は、塀に挟まれた小道を歩いている気持ちがしたものです。遠い先の 一点だけは見えていて、しかし行き着くまでにどれくらいかかるのかが分からないまま歩き続けるのがつらかった。人生も中盤になると、十字路が次々出てきて、右にも左にも行く先はあり、どれを選ぶのかがやや難しくなりましたが、一方で気持ちは楽になりました。それが、六十になると、塀もなければ、十字路もない野っ原を歩いて行く感じです。霧は出てくる、日は陰る、一歩ごとに落とし穴があるかも知れない。それでも、不安よりも、一種の恍惚感があります。真っ暗闇をすたすた歩いていても、怖くない。書いているものもだんだん、そのようになっています。
 夜郎自大になるのは怖い。しかし、どこか、それも仕方ない、と思う気持ちもあります。その中で、足裏の感触だけが実感だ、ということだけが、若い頃から変わりません。